北前船寄港地兵庫IN坂越17

 

北海道小樽から北前船がもたらしたもの第17号全国版
             
          赤穂 観光協会提出(平成29年1月20日)
                    
今回は北前船寄港地フォーラムの開催の計画がある小樽からのご当地自慢です。
 投稿して頂いた伊東直人氏は、小樽観光大学校の「おたる案内人マイスター」としてボランテイアとして活躍中で、氏は国交省北海道運輸局から北海道旅客船協会専務理事を平成26年に退任された方です。伊東氏には赤穂版6号の嶋谷海運史の発行にあたり、小樽に残る、旧社長宅の写真の提供をして頂いています。また前回の16号の中で書いた尾道の石工の事が書かれていたので問い合わせした処、以下の返事が頂けました。石段は遠藤又兵衛が寄進したもので、氏は山形出身の海産物商で明治後期に活躍した商人で現在もその邸宅の一部が保存されています。尾道市石工、寄井彌七と取次、小林利兵衛の石碑は、遠藤の寄進した石段の最上段にあります。この事は尾道の西井学芸員に報告し、合わせて「北前船プロジエクト兵庫IN坂越」のブログを紹介する予定です(矢竹考司)
  
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       投稿者 伊東直人(小樽市在住)
江戸幕府の下、領地で全く米が獲れない松前藩の財政を支えたのは、主に蝦夷地でアイヌが収獲した海産物などとの交易による収益でした。
 江戸中期になると鰊による〆粕は、西日本方面の棉や藍、菜種などの肥料として需要が高まり、近江商人に雇われた北陸地方などの船乗りにより西廻り航路で日本海、瀬戸内海沿岸の諸港に寄港し、大阪まで運ばれました。
一方、松前藩蝦夷地では、生活に必要な米、塩、醤油、味噌などの食料品や衣類、藁製品などは、本州方面からの移入に頼っていて、漁猟中心の蝦夷地で瀬戸内の塩は、魚の処理、保存に欠かせない貴重なものでした。
 明治に入り、蝦夷地は北海道と改められ、明治政府による北海道の本格的な近代化が推し進められます。その拠点となる開拓使の本府が札幌に置かれ、札幌に近い小樽港は海上輸送の玄関口として位置付けられます。
鉄道など陸路が未整備であった当時、北前船が北海道の開拓に必要な物資や開拓移民の生活必需品などの輸送を担い、北前船の存在なくして北海道の開拓はあり得ませんでした。
 小樽は、元治2年(1865)場所請負制度が廃止され「村並み」となり、本州の村と同等に扱われることになったこの年を開基としています。
 物資の集積地となった小樽には、その保管施設である倉庫が立ち並び、廻船問屋や金融機関なども進出し、まさしく北海道経済の中心地として飛躍期を迎えることになります。
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 明治20年代から30年代には、北陸地方北前船主である加賀市橋立の西出孫左衛門、西谷庄八の旧小樽倉庫(北海道における最初の営業倉庫)、増田又右衛門の旧増田倉庫、加賀市大聖寺瀬越の大家七平の旧大家倉庫、廣海二三郎の旧廣海倉庫、福井県南越前町の右近権左衛門の旧右近倉庫などの石造(木骨石造)倉庫が次々と建てられていきます。
日露戦争で日本の領土となった南樺太への中継基地として、また、鉄道の延伸や港湾の整備などにより輸移出入港の拠点となった小樽は絶頂期へと向かっていきますが、この頃から北前船は小樽の港から姿を消していきました。
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 海の守護神を祀る小樽住吉神社には、大家、廣海両家の寄進した鳥居(明治30年建立)や尾道の石工が築いた石段、揖保乃糸播州素麺會社の玉垣など、各地の北前船に関連した痕跡が数多く残されています。
 また、「北前船考」(昭和32年)などを著し、北前船の研究で先駆的な役割を果たした故越崎宗一氏は小樽生まれ(越崎家の郷里は加賀市大聖寺)であるなど、小樽と北前船とは深い縁があります。
 昨年11月、北前船の寄港地をめぐる旅で坂越や下津井、塩飽本島、鞆の浦、竹原などを訪れ、各地で北前船の遺産等について見聞する機会を得ました。坂越では「坂越のまち並みを創る会」の門田守弘会長から北前船の日本遺産認定に向けた取り組みの話を伺い、下津井の「むかし下津井回船問屋」矢吹勝利館長とは、双方の干拓、開拓に北前船の果たした役割に触れ、今後の交流を深めていくこととし、早速、小樽の北前船に関連する写真を館内展示していただきました。
北前船が小樽発展の礎を築いたのは紛れもない事実ですが、小樽と北前船のさらなる関係解明や有形・無形の北前船文化の観光資源としての活用方法など、まだ多くの課題が残されています。
      発行者  門田守弘(坂越まち並を創る会会長)